Koffice代表の柴田です。
2024年10月になりました、今年も残りあと90日を切りました。
私自身この道を選んで早19年目も折り返しとなりました、また2010年4月に独立してから14年半以上時が経ちました。
私のキャリアは大学院生時代の最中に、周囲が士業資格取得を目指す中で「経営コンサルタント」というネーミングに惹かれ興味を抱いたのが始まりです。
大手コンサルティングファーム系等に挑戦しながら、偶然目に止まった地元の名古屋で30名規模のコンサルティング部門のある会計事務所に応募したのがきっかけで実務への扉が開きました。
私に経営コンサルタント候補者という名目で内定をいただいてから夏休みと修了式の後に3カ月程度アルバイト期間を経て中途採用扱いで初めて採用されました。
右も左もわからないまま15件以上個人から中小規模の法人の担当先を入社間もなく任されながらも、OJTは最低限のみでほとんどが自分で調べて考えて行動して身に付けるしかない環境で最初試されました。
社内外で𠮟咤激励を受けながら朝早く夜遅くまで事務所とお客様の会社を往復しながら市内郊外を日々車で駆けずり回る泥臭い日々でした。
それから2年近く経った時に登録した転職エージェントの奨めで東京での活動にシフトするきっかけとなり、ベンチャー企業の上場支援をする会社へ移籍しました。
そこでは株式上場前と上場済であるが支援が必要な会社経理部や経営会議に公認会計士が中心となって外部支援専門家として張り付く仕事でした。
当時流行りだった内部統制を整備する決算早期化や会計業務プロセス改善を主に担当しました。
単独の仕事よりも6~10名位のプロジェクトチームで仕事を皆でやっていましたが、終わりのない作業量に圧倒されっぱなしの日々を過ごしました。
その2年近く後名古屋でサラリーマンとして最後ご縁をいただきコンサルタント兼経営企画室の仕事に携わるきっかけになりました。
平成初期から隆盛と苦難を経験してきた4大監査法人出身の60代半ばの公認会計士であった社長に代わって、管理部としての予算編成や部門の状況などを調整や整理したりする役目を担いました。
上記の経験で15名程度の小規模の組織をやりくりする社長の仕事というものを教わりました。
私はここで現在支援メニューの一つである経営計画書というものを知り、OffJTで半年間研修に通い習得しました。
その傍らで決算時期に税務部門の関与先の経営分析やら1000名分の地元の大手企業退職者の確定申告のコントローラーをしました。
2010年春に独立した時は、前職の担当先を1年間継続いただいて起業塾に通い模索と新しい出会いを求めてあちらこちらへ出向きました。
当時SNSの流行に伴って朝活というものを始めて5年近く続けながら、今までに出会ったことのない人との交流を積極的にしました。
同時に大手コンサルティングファーム出身の各種ベテランコンサルタントの方々について回りあらゆる現場へ連れて行っていただき実務体験を重ねました。
また様々な方々とコラボさせていただき自らも講師として裏方としてイベントセミナー企画を数多く手がけました。
2015年頃からは自己研鑽のために難案件であった事業再生や社員の成長をお手伝いする人事制度構築のプロジェクトチームに参加して関わる会社の規模の大きさやら携わる業種を増やしていきました。
2020年頃から今に至るまで動画の制作を自身で編集制作することを始めたり、以前より東京と大阪に足を運ぶ機会が増やしました。
2025年はK officeはこれまでの流れを汲みつつ、20年目の4月には15周年記念セレモニー開催と新たな拠点へ移り目標を立てて取り組みをスタート出来ればと思います。
多くの経営者の方々に色んなことを教わりながらご用命いただき応援してもらっている中で少しでもこれまで教わったことと自らが経験したことを活かし中小零細企業の発展に寄与し続けて参ります。
そして学生時代からの理想を追求しつつ、職業冥利に尽きる日々を一日でも多く過ごしていけたらと思います。
最後に私の思いを汲んでいただける中小企業経営者の方に外部の課題解決役(社長の右腕)としてご用命いただけると幸いです。
代表略歴/提携先 |
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専門分野 |
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2024年秋冬のテーマ/信条 | あるがままに、なすがままに(Just as it is, just as it is) |
趣味趣向 | 車のドライブ/ぷらっと旅 |
好きなこと | 映画鑑賞/アート |
マイブーム | 目の前に起きる出来事を十分に受け止めて処理してそれを愉しむこと |